※これは「サガステ再生の絆」東京公演2月24日(土)夜の部と2月25日(日)昼の部を観劇しての感想文です。
※良かった!楽しかった!面白かったという感想が中心ですが、センテンスを分けてこれはどうなんだろうか……?と思った点も書いています。
※書いている人間が役者さんに全く詳しくないので、「ここのこのキャラのこういう演技が良かった!」という書き方はしていても、その役者さんならではの~~とかそういう話はほとんどないです、ごめんなさい!
※書いても書いても書き終わらなくてキリがないのでひとまずキリのいいところで公開。
20240306時点でバージョン1.0(7,467文字)です、そのうち書き足します。
【楽しかった点】
●舞台ならではの臨場感、つまり『熱』と『渦』
ごく個人的な語りから入って申し訳ないのですが、劇場で舞台を見るのは恐らく10年ぶりです。
学生時代に少しの間、演劇をやっていたことがあり、その時期はそれなりの頻度で観劇をしていたので、舞台を全く知らないということではないんですが。
そういうことで、近年普及してきた「2.5次元舞台」というものはさっぱり、門外漢です。
サガステもそういう類のものに入るのでしょうが、今回そういう視座から語ることが私にはできない。
一方で、以前に「七英雄の帰還」や「ロアーヌが燃える日」をYouTubeのプレミア公開で視聴していたので、サガステがどんな雰囲気で語られる物語なのか、何となく分かっていました。
実際の舞台を見た今にして思うと、それは本当に分かっていただけでした。
会場に入った瞬間、「これは耳が悪くなるんじゃないか?」というくらいの音量で鳴るBGM、およびその他音響。
今回2回観に行って、2回ともお席は結構後ろの方でしたが、それでもビンビンに伝わってくる演者さん達の迫力ある演技(特に殺陣がどれもお見事!猛スピードの剣戟もまた見応えがありましたが、詩人が新八星を紹介するときにみんなスローモーションで殺陣を演じてたのが地味に物凄いと思った)。
ときに背景として舞台そのものを照らし、またある時はただ一人だけの演者を照らし、そしてまた別のときには『お前はこの舞台の目撃者なのだ!』と言わんばかりに観客席を照らす照明。
(この照明の威力が本当にすごい、観客席に青い光がぱああっと照らされたあの時のあの瞬間、「ああこれはライブ配信では絶対に味わえないと思った)
そして、後半は特に観客を巻き込んでいくコミカルな演出の数々。
このひとつひとつに熱がある。
その熱は観客一人ひとりに伝搬し、じわじわと広がり、風を起こして、やがて渦となる。
この渦はその時のその舞台でしか味わえないものだし、形としては決して残らず、体験という記憶が見た(あるいは演じた)個々人に刻まれるだけである。
でも、この熱と渦に魅せられるから、みんな何度でも舞台を見たくなる、通いたくなるんですね。
この熱と渦を巻き起こしたいと思うから、舞台の上に立つ人たちやそれを支える人たちは、華やかな照明では照らされないところでずっと地道な努力を重ねられるのだと思った。
ところで、私が映画館で観る映画が好きです。
(多い年でもせいぜい年間30本程度なのでシネフィルからは程遠いんですが)
それは別の世界に呑み込まれていくような没入感が起きながらに見る夢のようだと思っているから。
いい映画を見た後の帰り道、その余韻を楽しみながらふらふらぼんやり歩いて行くのが好きです。
今回見た舞台は触れられる夢で、質量のある幻のようだと感じた。
私のいた席は入り口に近いこともあってか? 何度かあった『観客席側から演者が入ってくる』演出から遠い位置だったのです。
アリだー!!!のアリさんも遠かったのです。アリさんも造形すごかったから間近で見たかったぞ……。
それはさておき、ちょっと離れた場所からアリさんを見ていたのですが、観客の方とコミュニケートを取っていたりなどされていましたね。
この超至近距離のアリさんコミュニケートは極端な例ですけれど、観客を巻き込んだ演出は数々ありましたね。
みんなで「アリだー!!!!」と叫ぶくだりであるとか、ひらめき電球ヘルメットであるとか。
また、ロビン関連のあれこれであったりとか(ボロロビンはいつかスタイル出してください)、は観客に「ウケる」ことも舞台の進行の一部として組み込まれているように感じました。
それから、私は2回しか見てない上、東京滞在中には結局舞台の台本を購入しなかったので(悔やんでいるので公式通販が来たら買います)、どこにアドリブが入っていたのか全ては把握していないのですが、上述のロビン関連の部分、ここのバートの反応は確実に異なっていたのは覚えています。あとクジンシーの手品も違ってたね(毎回別な手品を練習されている?)
おおよそは毎回同じ筋書きで進むし、行き着く結末も同じだが、再現性がなく、全く同じ体験はできない。
これこそが舞台の醍醐味なのでしょう。
思えばゲームと舞台とは、かくも対照的な表現媒体です。
(※ここでいうゲームとはいわゆるコンピューターゲームを指す)
ゲーム、特にRPGの始まり・源流は今でいうTRPGです。
人間(GM・KP)が担ってきたシステム部分をプログラムが代替するようになったのが現在のRPGである。つまり――と言い切ってしまうのは違うかも知れませんが――、多少なりとも人間がシステム部分を握ることによるブレや裁量というものが、プログラムにはありません。
無論、ゲームの中には無作為的な要素が組み込まれておりますから、それによって同じ行動をしても違う結果が出力される場合がある。人によって異なるゲーム体験を生み出している訳ですが、それもプログラムに許容された範囲内のことです。
それでも、私たちは自分と長い時間をともに過ごすキャラクターたちに愛着を抱き、彼らの辿る道、敵に立ち向かっては傷つき、努力を重ね(あるいは我々プレイヤーが戦略を練って)打ち倒すその姿、その体験に何も思わない訳がない。
私がゲームという媒体が好きですが、そこには少なからず「物語に介入している」感触があるからというのがあります。結末が決まっていても、そこまでキャラを連れて行くのはプレイヤーである。プレイヤーの数だけの道があり、物語がある。
舞台はそのほとんどが人の手で作られている、演じる人たち、照明、音響、その他の裏方の方々。自動化されている箇所はあるだろうが、スイッチを入れるのはやはり人間。
だから、人ならではのブレがある、毎回異なる味がある、日に日に洗練されていくが、昨日と同じ再現はできない。
舞台の観客というのは、基本的には観ているだけで、そこにはゲームならではの介入する体験はあまり感じられないかもしれない。
しかし、もしかするとゲームという画面よりもずっと近い場所でキャラクターの活躍を見ることができる、喜び、怒り、悲しみに共感することができる、ゲームよりも更に彼らに寄り添い、新たな理解を得ることができる……かもしれない。
……だんだん長くなってきましたので、つまり私が何が言いたいかというと、ゲームの体験は唯一無二であるが、舞台の体験もまた唯一無二のものである。
ゲームはプログラムされているもので、プレイヤーが介入しなければ進むことはないが、舞台もまた観客がいてこそのものであり、『その瞬間』を劇場で観るからこその味わいがある。
ゲームと舞台は案外親和性が高いのではないかという話をここではしたかったです。
●プロジェクションマッピングを用いた演出の白眉
これはyoutubeで「ロアーヌの燃える日」や「七英雄の帰還」を観たときにも思ったのですが。
殊に、いわゆる中世ファンタジーのような魔法がある世界とプロジェクションマッピングを用いての演出は非常に相性がいいですね!
たぶん、私がそれなりにでも観劇していた頃にはなかった技術……!(※20年近く前だからね)
1回目の観劇時、イゴマールが暗躍していた過去の場面は紗幕の後ろで全ての芝居がされていたのですが、オープニングアクトが始まるまではあらかじめ撮影した映像を流しているように見えていて、「早く役者を出せ-!」って内心叫んでいまして(これは私の目が悪かっただけ)。
紗幕が上がってオープニングアクトが始まり、今までただのスクリーンだと思っていたところから演者の方がくるくる回りながら出てきて「?!」と驚愕。どこからが映像でどこからが本物?!などと困惑するなどしました。これがプロジェクションマッピングの威力…………!
↑この件は私の勘違いが主でプロジェクションマッピングとはあまり関係ないかもしれませんが、しかし、現実世界の法則では絶対に再現できないものを表現することにはぴったりで、特にリン・ウッド家はなんだかんだいっても術士の一族。ゲーム中のグラフィックも取り入れながら
一番迫力があったのはイゴマール第4形態。あのぬうっと飛び出してくるようなイゴマールの迫力は劇場でしか味わえない。
●他に好きなところ箇条書きで列挙
・私はロマサガRSの物語の中で、ポルカという主人公が結構好きです。決して完璧ではなく、基本的にぶっきらぼうで、特にジョーとバートが生まれてからの第2部は三枚目が定着したけれど、人のことを慮る優しさとか繊細な面も持ち合わせる。自分の弱さを確かに自覚していて、人に支えられながらも着実に前へと進むポルカ。格好良くはないかもしれないけれども、共感ができます。
「ロアーヌ~」でも「七英雄~」でも、舞台の上に出てくるキャラクターはみんな強い。それは戦いにおいての強さだったり、内に秘めた芯の強さであったり、そういうところに焦点が当てられている。
だけど今回のサガステではポルカは決して強くない人間と最初に定義されている。そこから家族を守るためにどうやって戦っていくのか、それは仲間のともに歩むことだったり、父の言葉に従い搦め手で攻めていくところだったり。仲間たちに助けられ、正しく「絆」で戦っていく姿が印象的、まさしくポルカ!って感じでした。
ここを書いてて、そして観劇して1週間以上経った今にして思う。
バルテルミーとポルカ・リズにはまず初めに悲しい別れがあり、仮初めの再会があり、父の本当の魂に触れ、そしてその父に剣を突き刺す。
ジョーはイゴマールの決戦の後に世界の外に弾き飛ばされ、更には異形の核を植え付けられて人の枠すら外れそうになったけれど、母であるリズ、弟のバート、伯父であるポルカが諦めなかったから、家族の元に戻って来ることができた。
「絆」という言葉の語源は、一説によると手綱とされています。馬などの動物を繋ぎ止める綱のことですね。これは決して離してはならないものということで、転じて絆になったとのこと。
『再生の絆』とは、どんな苦難に遭っても、幾度となく家族が引き裂かれても、諦めないポルカの姿こそを指しているのだろうかと今にして思います。
・バルテルミー、好きですか? 好きですよね??
私はロマサガRSで過去が明かされた時点(確か12章外伝だっけ?)ですごく好きでした、あれを見てから「メリッサともども、SSスタイルが出たら絶対手に入れよう!」と思うほど好きになりまして。
(ところで、メリッサの新スタイルはまだでしょうか? 海外版では浴衣スタイルもSスタイルも出たというのに……)
今回はバルテルミー団長の魅力大爆発でしたね!!
そりゃあんなの惚れないわけないやろ……!
ポルカが表の主役で真の主役としたら、バルテルミーは間違いなく影の主役で裏の主役、そりゃソロライブもあるってもんよ!
(歌の間奏直前でつられて踊り出すポルカが好き、いい味出してる。
今、大阪大千穐楽のアーカイブ映像を見ながらこれを書いていますが、バルテルミーと向き合って踊るポルカが嬉しそうな顔してますね、いい……)
ソロライブの間奏で、ポルカに向けて力強く言ったあの台詞。
「心配するな、父さんはもっと強い」
これが今回の舞台で一番いい台詞だなあって思いました、個人的に。
とても頼もしくて、何よりも父親らしい振る舞いである。
それと同時に、これまでバルテルミーはポルカやリズに対し、父として接することができなかったのだなと思うと切ないものがあるよ。
ソロライブのダンス、イントロ部分がかくかくとしたややぎこちない動きで、そこから流れるような素晴らしい動きへと変じていくところ、あそこは(主にイゴマールの)操り人形から脱したという表現なのかな?
終幕の直前、俺たちの世界へ帰ろうと言い切ったポルカと、リン・ウッド家の面々を優しく見守るところもまたいい……。
・七英雄、特にノエルが第1幕ではある種で英雄らしく、驕る姿を見せたのが意外で印象的!
人々に英雄と讃えられ、時に怖れられる「英雄」としての矜持を垣間見た。
・サガステオリキャラの中では、やっぱりみんな大好きカラミティ様が私も好きです。
七英雄がひらめき電球ヘルメットでやいのやいの言っている間とか、寝っ転がって様子を見ているカラミティ様かわいい……。
カラミティ様は口調も可愛らしくいらっしゃる、奔放な三女といったところでしょうか。
・イェリクについては後で絶対に!書き足す!!やらせてください!!
初見で「何となく聞いたことのある響きの名前だな?」と思って結局気づけなかったの悔しい!!
(オリアクス[Oriax]→イェリク[iarx?]ってことですよね?)
アーカイブをちゃんと見直して検証しますけれど、「はじまりの君」となった少女の名前が「ジョセフィン」であることをイェリクは知っていたんですよね。おそらく転移してからジョーはシエロが言っていた一瞬以外は目覚めなかっただろうから、自分で名乗るはずもなかったので。
【これはどうなんだろうかと思った点】
●お話の構成
話の筋そのものは面白かった、そのことには違いありません。
しかし、主役をポルカに据え、リユニにおけるリン・ウッド家の物語の結末という謳い文句でありながら、実際のところ4~5割程度は七英雄の話でした。
次の項でもほとんど同じことの繰り返しになりますが、端的に言えば、七英雄の伝説語られすぎ。
もっとリン・ウッド家のことを描いてほしかった。
特にエンディング、もしかするとジョーのお着替えの時間という制約があったのかもしれないが、ジョーが
家族に再会したあと、みんなでどういう会話をしたのか、そういう余韻を感じさせるような場面があればなお良かったなと思います。
あと、ポルカに二度父親殺しをさせるのはかわいそうだなって思った(こなみかん)。
●完全な『終わり』ではない結末
リン・ウッド家の物語はバルテルミーの犠牲がありながらもジョーを取り戻し、これから帰還というところ。しかし、イェリク=オリアクス=イゴマールを倒した訳ではない。
七英雄の物語は、元凶である大神官は倒れたように見えたが、しかし替え玉であっただろうとワグナスは語る。復讐の完遂はまだ語られていない。
つまり、『再生の絆』という舞台(物語)としては終わりを迎えたものの、両者ともまだ続く余地がある……というかわざとその余地を残したのだなと感じてしまった。
どちらも完全にここで決着をつけてほしかったというのが筆者の本音です。
特に大神官の方、こちらは『七英雄の帰還』の頃から報いを受けずにのさばり、相も変わらず権力を欲し、我欲のまま生きている、観客としてはそろそろ溜飲を下げたい……。
(この世において碌でもない人間ほど蔓延るもので、大神官の生き様は現実的ではある)
七英雄というロマサガ2のヴィランには絶大な人気があり、サガステでその魅力が更に増したということは理解しています。
冷静と激情を併せ持つワグナス、勇猛な武人であるノエルを初めとしたサガステの七英雄は、シリアスとひとつまみ(どころでないが)のユーモラスがあって、ゲームから舞台になるにあたり、拡張・拡大して描かれた人物像に打点がある。
だけど、少なくともこれを書いている現時点では、七英雄はお腹いっぱいだなあ……という気分です。
きっと恐らく、この次にもサガステはあるのでしょう。
そこでまた七英雄の話をされたら、ちょっと食傷気味に感じてしまうかもしれない。
(ここら辺は私が今回のサガステにポルカ編の続きとしての要素を期待していたからこう感じたのであって、サガステの七英雄が好きな方にとってはまだまだ物足りないかもしれません)
七英雄の物語・完結編は今後もサガステで描かれる、そのつもりかもしれない。
そして、舞台とはいつか冷めると分かっていても触れずにはいられない『熱』である。
『再生の絆』のキャスト・スタッフと全く同じ人選で次を描くためには、あまり時間は空けられない。
なので、次のサガステはまた七英雄の話になるのではないだろうか?
●『ロマンシングサガ リ・ユニバース』の舞台であるならば!
次のサガステの可能性、それはリン・ウッド家の物語の更なる続きかもしれない。
もしそうであるのならば、次は『ロマサガRS』ならではの、あらゆるサガシリーズのキャラクターが入り乱れてわちゃわちゃと楽しく賑やかな舞台になってほしいな~!
今回の『再生の絆』でも、ロマサガ2のキャラクターが多数登場しましたし、ロマサガ3の物語が背景としてある、大前提であるということも描写されていましたが、それ以外の要素はあんまりないように見えました。
(古代人達の転移先は2つの月がある世界……ということで多少勘ぐりましたが、たぶん全くの異世界という描写であって他意はないと思う)
『七英雄の帰還』ならぬリン・ウッド家の帰還の物語があるならば、舞台の上でもっと色んなキャラクターを見てみたい!
特にサガフロ以降の作品のキャラクターは舞台の上に立ったことがないはず。
GBサガのキャラもまだ舞台に立っていないはず。
例えばあらゆる作品の壁を越えた神様たちの競演とか、絶対舞台の上が絢爛豪華になって楽しいと思う。
◆ものすごく個人的な要望を言うと;
次のサガステでは『約束のマルディアス』が観たいです、観たいのです……!
再始動する日を心からお待ちしております、いつまでも待ちますから。
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※後日、ここに総括を書く予定です!
今現在(2024年3月6日)、大阪大千穐楽のライブ配信アーカイブが視聴可能なので、好きなだけ見てから好きなだけ付け加える予定です……!